プリ☆チャン雑記

 

ぷりちゃんは!(気さくな挨拶)

 

この土日はニコニコ動画で「キラッとプリ☆チャン」の1~20話一挙放送を観てユメ楽しかった。10話まで見逃した回がいくつかあったので補完できてよかった(最新話21話は寝坊のため未視聴)。

 

つい先頃、Meltic StArの3人目のメンバー・紫藤めるについてのプレスリリースがあったばかり(一応、かつて3人構成だったことの言及はあった)。

news.nicovideo.jp

 

20話まで復習して、あんな&さらのためらいや焦燥は取り残されてしまった者のそれであることを再確認した。紫藤めるとは一体どんな別れ方をしたのだろうか・・・・・・あんなちゃん、3人構成の頃のライブ全部消しちゃってるようだし(9話での言及より)なかなか重い過去がありそう。

 

ところで、面白いなと思った二次創作の話。ニコ動を中心に見ているのでそのノリが苦手な人はまた。ニコ動でプリ☆チャン観てると二次創作の洪水で面白いよね。

 

・「ぷりちゃんは(わ)!」

プリ☆チャンを観るにあたっての私の一つの関心は、主人公・桃山みらいの口上「プリ☆チャンは~(以下、説明が続く)」の有無で、これは作中冒頭、主題歌の直前に挿入される。

 

プリ☆チャンは、自分たちで作った番組を自分たちで配信できちゃうユメのチャンネル! 友だちといっしょに、キラッとステキな番組、やってみよう!

 

ニコ動では毎週水曜日、キラッとプリ☆チャン公式チャンネルにより、最新話が配信されているのだが、そこで必ず目にすることができるコメントに「ぷりちゃんは(わ)!」というものがある。

 

上記の「プリ☆チャンは」を「こんにちは」になぞらえるところからきている(のだろう)。初期は毎回のように口上があったのだが、近頃はこれがない(11話、17話~20話まで)ために、「挨拶がないぞ桃山ァ!」「挨拶無しは基本」「挨拶プログラムは消去されたよ」(→アンドロイド桃山 後述)などとコメントされている。

 

なお表記についてだが、「は」派と「わ」派で争う様子や、それを受けてか、ハ行転呼現象を持ち出して表記の揺れについて言及するコメントまで見られ、あぁ、これが二次創作のダイナミックな生成過程か・・・・・・と勝手に面白がっている(私は「ぷりちゃんは!」と書いているが、単に「こんにちは」に関して「は」を「わ」と書いてこなかった表記癖がうつったもの cf.現代仮名遣い:文部科学省)。

 

どっちでもいいと思う。

 

 

・二次創作における桃山みらい像について覚書

基本的な事項はこちら↓

www.tv-tokyo.co.jp

 

最初の頃の印象は大体こんな感じだったと思うんだけど・・・・・・

  • 大きなおめめとふわふわ桃色ポニテがかわいい、ソロライブ時のSweet Honeyのコーデもそうだが、正統派のかわいさ
  • かしこまっ!」のような印象的な決め台詞がないのが寂しい(プリパラロス)
  • 出番が少ないわけじゃないのに目立たない(相方のえもちゃんのほうが目立ってる)

あとは中の人に関連してくる部分、

  • ハキハキしたしゃべりで真面目そうというか、棒読みではないんだけど絶妙に感情が感じられない 例:ライブの入りの「あはっ!」とか
  • 歌声に伸びがあるしお上手だし聴いていて心地よい

かな。

 

ネタと言えば筐体バグからきた「バグみらいちゃん」、ボケと曇りを繰り返すえもちゃんを支えていく「えもちゃん係」的扱い(えもちゃんブームの功名。メルティック活動再開までえもの躁鬱とvsあんなで回っていた部分があるし、何より第6話が神回で「えもちゃんが主人公だから」という空気も)くらいしかなかった(なけりゃないでいい)。

引っ込み思案だけどいざというときは頑張る良い子、という印象が中心で、その正統派の魅力は侵しがたいところさえあった。

 

これが今や「ドS」「サイコパス」「感情を取り戻そうとするアンドロイド」等、散々に言われているのだから凄い。私は面白いから許容だが、こうした桃山みらい観に困惑している人もいるはず。この手のものは一度ウケると増殖していく運命にあるのだ。

 

やはり転機は第7話「ねこ動画を撮ってみた!」ではないか。

 

道端で迷子の猫とはち会わせ、苦手オーラ全開のえも。
りんかとみらいは、プリ☆チャンを使って猫動画を配信し、飼い主を探すことを提案するが、えもの苦手克服は一筋縄ではいかなくて……

エピソード キラッとプリ☆チャン|テレビ東京アニメ公式 プリチャン やってみた!より)

 

猫が苦手なえもに対し、執拗に猫を押し付けるみらい、世話まで頼む様子はまさに鬼畜ドS。それに加え絶妙に無感情に聴こえる台詞のトーン、明るい表情に大きいおめめのシナジーは視聴者に強烈な印象を与えたのではないかと思う。いまいち定まらなかったみらい像に明確な形を与えたのはこの回。

 

その後、第13話「桃山みらいが、とんでみた!」での失踪事件、第15話「りんか、やってみた!」にてりんかに至近距離でソロライブを要求するシーン、第17話「笑顔でさよならしてみた!」にてえもの「悔しいけど私たちバカだし」への返答「”たち”って、いっしょ!?」等々・・・・・・さまざまなシーンで第7話の桃山みらいが参照され、無数のコメによって再生産され続けている。

 

発展形としては、第19話「夏だ!ビーチだ!行ってみた!」にて花火を見物しながら「今日、楽しかったね。わたし、海ってこんなに楽しいんだって久しぶりに思った!」と例の表情・トーンで語るみらいを「失った感情を取り戻した」とか「人の心を理解した桃山アンドロイド」とする突拍子のないものもある。

→えもの夏バテ描写はあるのにみらいにはそれがないことに着目して「冷却機能のおかげで夏バテしない」とか、わかりやすい形で喜怒哀楽を見せれば「人間アピール」「修正アプデ入った」などとコメントされる事態へ

 

うーむ

 

コメで流れてきたらなんだかんだで笑ってしまうのだが、笑って終わり、ではなくて「キャラクターの感情は見てわかりやすかったり、容易に想像がつくのが普通なのかな」とか考える契機にしたい。